自己紹介(改訂版)

初めまして@ケンサーフと申します。

2020年8月現在は、WEB制作やマーケティングプロデュース、起業家・中小企業経営者のコンサルティング事業を行っています。

(ちなみに、このブログは収益化目的でスタートしたブログで、今もアフィリエイト収益を産み出してくれています。)

移住先地方で起業をして、いろんな事業に関わりながら楽しくお仕事させてもらっています。

長いですが、興味ある方はボクのプロフィールを書いたので、読んでみてくださいね。

出生から成人まで

お宮参りをした京都の松尾大社

僕が生まれたのは、京都の西京極という所で

京都市内の真ん中あたりの割と人が多いところです。

兄と弟がいる次男坊です。

2歳半の時にとなりの滋賀県に引っ越して

それ以来、旅に出ていた時期を除くとずーっと滋賀県です。

特別問題なく元気に育ち、幼稚園を卒園し、小学校に入学。

手前味噌ですが、運動能力が結構高くて、陸上記録会の学校代表に選ばれたり、スポーツ少年団の1学年上のチームに引き抜かれたりして、周りから運動能力を評価されることが多かったですね。

小学校から高校までは野球をしてました。

中学の時バンドブームにのめり込んで、同級生に声をかけてバンドを結成、文化祭で全校生徒をロックするところまでは行けました。

ボクのバンドは、当時サブカルにアンテナが高い中学生は知っている存在だった、”ハイスタ”のコピーバンドでしたね。

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勉学はそこそこは出来る方だったんですが、高校はスポーツで選んだ結果、偏差値が高い高校ではなかったので、入試首席で入学しました。

その結果、入学式で校長先生に向けて答辞を読んだんですが、何言ったのかは全く覚えていません(笑)

小3から約10年続けた野球は、最後の夏、キャプテンとしてチームをひきいて、県大会準優勝、甲子園まであと一歩のところで散りました。

野球部引退後、音楽活動に情熱を持っていた僕は、ラッパーとしてクラブデビューします。

それが2003年ごろのHIPHOP全盛期で、50Cent、JAY-Z、NASとかが超流行ってた時代ですねー。アナーキーとか、ドーベルマンインクとかと同じイベントに出てたりしたんですよ。(前座だけどw)

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そこからよくクラブでライブしてたんですが、高校卒業後の進路を考えた時に「どうするかなーっ・・・」てなって

県立大学の推薦ももらえる状態だったんですが

音楽の専門学校・大学進学・etc…って感じだったので、興味がある学校のオープンキャンパスとか説明会に行ったんですが、結局バチッっと決まらず「うーん・・・」ってなって、家の人に相談した結果

消防士だった父親の「消防士はいいぞっ!休みも多いし、安定してるし!感謝されるし!」てアドバイスを聞いて、消防士を目指すことにしました。(単純でしょw)

「まぁそのうち受かるやろ。」

ぐらいの感じで、公務員試験に受かるまでバイトしながら自宅学習をすることにしました。

居酒屋でバイトしながら勉強して、土日はクラブでライブして、みたいな生活を2年くらい続けて、

20歳の夏の公務員試験に合格し、晴れて地元(大津市)の消防士になりました。

公務員退職から放浪旅人時代

2年半くらい消防士をやっていたんですが、1期上の先輩が、公務員特有の閉鎖的な空間が嫌で辞めてしまったことがありました。

その先輩は消防士になる前は大手銀行マンだったんですが、海外の話や、銀行員の世界の話、世の中の広さなどについて、熱い話を聞かせてもらって、自分の人生をふりかえる出来事がありました。

その時に、

今自分がいる場所って本当に望んでいるところなのか?

本当にやりたいことができてるのかな?

って考えた時に

「うーん、どうも違う気がするな・・・、このまま後40年ここにいる人生は面白くない。」

と思って消防士をやめました。

自分の人生一度きり、やっぱり勝負して生き抜きたい!

と思ったんですね。

そこから実家を出て、大阪で一人暮らしをはじめました。

半年ぐらい、有名セレクトショップ「BEAMS」で働いてたこともあります。

めちゃめちゃ忙しかったけど、いい経験でした。

今働いたほうが面白そうだなーくらいに思います。(でもハードすぎて大変だと思うw)

しかし、大阪に来たものの、スケジュール管理や目標設定、それに伴う行動指針やタスクを設定できていなかった当時の僕は、ダラダラと日々を過ごすだけで、しょうもない生活を送るようになってしまいました。

しまいには、悩みグセがついてうつ病みたいな感じになってしまい、一度地元に帰って再起を測ることにしました。(今でこそ笑い話ですが、当時は結構アブなかったんですよw)

この時は家族に助けてもらって、少しづつ復活していくことができました。

あの時、手を差し伸べてもらえなかったら、どうなっていたか分かりません・・・。

本当にめちゃめちゃ感謝しています。

その後、数ヶ月地元でバイトしてたんですが、このままでは“何をどうして自分の人生を切り開いていいか”がわからなかったので、南国での生活に憧れがあった僕は、沖縄にリゾートバイトの旅に出ることにしました。

リゾートバイトで日本行脚の旅

この旅が、全国行脚の放浪のきっかけになったんですが、ざっと書くだけでも

沖縄・長野・滋賀・宮古島・ハワイ・北海道・静岡・小笠原諸島・新潟など、他にもいろんな土地で住み込みで働きながら放浪してました。

ヒッチハイク行脚なんかもしましたね。

成田の町でバックパック背負ってハンズアップしてたら白い目でみられたのは良い思い出ですw

今もそうですが、当時は旅の魅力にドップリハマって、何と言うか、その土地にしかない人の感覚とか「非日常が日常」の状態がとても楽しかったんですよね。

この旅をしている時に、宮古島でサーフィンに出会うのですが

それが僕の人生を変えるきっかけになります。

その時はそこまでのこととは思っていなかったのですが・・・本当に好きな事というのは一度やれば心に深く刻み込まれる物ですね。(スティーブ・ジョブズも言ってました。)

そして、サーフィンに完全にハマる前に、音楽にフォーカスが当たったんですよね。

旅をしながら、小さいギターを買って曲を作ったりしていたので

ちゃんと人前で自分の曲を演奏してみよう!

となって、そこから音楽のための旅が始まって行きました。

ギターを買うお金を稼ぐために、富士山の山小屋に働きに行きました。

その時に今の嫁が登山客として宿泊しにきて出会いました。

(富士山で出会うとか、なかなかロマンチックですよね)

富士山で働いた後も、旅は続き、東京の1000km南にある小笠原諸島に働きに行きました。

ケータ列島という無人島(世界自然遺産になっています。)に人力で砂防ダムを造成するという仕事をしてたんですが、非常にワイルドな経験をする旅となりました。

その時作った曲が、動画で残ってます。

そのころ、妻と(結婚する前ですが)ワーキングホリデービザを取ってオーストラリアに行こうと計画していたのですが、妻がスノボーで大手術が必要なほどの大怪我をしてしまい、計画は白紙になってしまいました。

二の腕にボルトを埋め込む必要があるほどのひどい怪我でした。

今考えても不思議なタイミングで起こった事故でしたね。

※リゾートバイトはやり方次第でお金貯まるので、旅したい方にはオススメです。

自主制作CDリリースを経てパパになる

妻のリハビリもあるので、日本に残ることにして、ボクは地元の滋賀に拠点を置き、ライブ活動を始めました。

でも、すぐにそれだけでは食っていけないので、琵琶湖でカヌーやウォーターボールといったレジャーアクティビティを提供している会社でインストラクターをしてました。(この時インストラクターとして関西のテレビとかも出演しましたw)

インストラクターの仕事をしながら曲を作って、地元のライブハウスで演奏していました。

ギタリストの友達が紹介してくれたメンバーと3人でバンドを結成し、島村楽器主催のバンドコンテストで滋賀県代表として関西大会に出場したりもしました。

当時の映像

オーストラリア行きをあきらめ、滋賀県に帰って働き始めてから約半年後、僕たちは一枚のCDを発表することに成功します。

今思えば、これが初めて「起業する」(商品を販売する)ということをした時なのかもしれません。

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CDをリリースした後、僕は琵琶湖でのアウトドアスタッフの仕事を終え、ライブで全国をツアーするという挑戦に出ます。

このころに嫁と結婚して籍を入れました。

旅をしてきた各地を回ってライブをしようと沖縄・宮古島・関西圏色々、と回ってみたのですが、いきなりそれだけでは食っていけない状況を悟り、地元の滋賀県で再び働きながら活動をすることにしました。

工場で働きながら活動を続けて、土日はライブツアーに出るという生活になったのですが、1枚目のCDを発表して半年くらい経った頃、妻の妊娠がわかりました。

とてもおめでたいことだと思ったので、やる気が出た僕は、“音楽をやめて就職を探す”ことは全く考えずに

音楽で成功してやる!!」となって、ますますギアを上げることにしました。

この時は、「子供が大きくなる前に成功しないと、社会の奴隷になってしまう!」と本気で思っていましたね。

そこから知り合いづたいでSNSを駆使したりして、全国に活動範囲を広げていきました。

動き回った結果、徐々に音楽での収入が上がり始めました。

おー、これはいけるかもしれないな!」と思いながら活動を続けて、翌年2枚目の自主制作CDを発表しました。(そこそこ売れたんですよコレ。)

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その頃には愛しい長男がこの世に誕生してくれていました。

僕は何としても音楽で成功したいと思い

とにかくがむしゃらにギアを上げライブを増やし活動に励みました。

2枚目のCDをリリースして半年ほど経った頃、まだ派遣社員として工場で働いていたのですが、音楽で得れる収入があり

音楽だけで食っていけそうかどうか、きわどいなー

というラインまで来ていたので、一念発起、「その道一本で食っていこう!」と決断しました。

勤めていた、工場を退職することになったんですね。

ミュージシャンとして独立、そして挫折

工場を退職した翌月から、僕はミュージシャンという肩書きの個人事業主です。

誰かが仕事をくれるわけではないので、自分で動いて仕事を取ってこなくてはなりません。

今まで以上に新しい場所に出向き、突撃訪問でライブの話を決めてスケジュールを立てる日々。

とにかくあとはないので、前に前に進みまくりました。

「自分の力で音楽で飯を食っていくぞ!」と決めたその月から、収入は多くないですが、食うには困らないお金をなんとか稼いでこれるようになりました。

地方にライブに行ったら新しい出会いがあり、チヤホヤされてうまい飯も食えるし、”好きなことでお金も稼げている“かなり恵まれた状況だったと思います。

ただ、毎晩宴会のような状況だったので、酒を飲みすぎてグロッキーになっている日とかも結構ありました。

健康には良くない生活だったと思います。

で、割と早いんですが、そういった生活を始めて3か月後くらいたった頃・・・

正直いって、当時僕は調子に乗っていたと思います。

遠征先にいくと、ちょっとした有名人状態になる時もあって、ライブ活動も順調で、収入も上がってきていて

毎晩パーティー!」ってな勢いでやってました

ハメを外しまくって、家のことをないがしろにしていた僕は、いよいよ妻に愛想をつかされて

このままこういう活動を続けるなら別れる!」と言う状況まで行きました。

真剣に考えた結果、1歳になる前の息子の表情を見ていて、あまりに愛おしく、絶対手放したくない最も大切なものだと思えたので・・・僕は音楽活動に終止符を打つことにしました。

やっぱり、「一番大事なものを守り、育てていきたい」という思いから、もう一度、進む方向を考え直すことにしました。

妻のことを世界一大切にして、みんなで幸せになろうと思いました。

妻と話し合った結果、「一度立ち止まってゆっくりと今後を考えよう」ということになりました。

深い瞑想から答えを得て、宮崎へ移住

無職で、何もない状態になった僕は、本を読みあさり

「自分は何の仕事がしたいのか、どうしていきたいのか」

をまた探し始めました。

気分は果てしなく長い暗い道を歩き始める修験者のようでした。

で、妻とも色々話し合った結果、あとあと人生を振り返って

「あーあれやっときゃよかったなー。」

とかは思いたくないので

「僕が一番好きなことができる環境で、仕事も遊びも頑張る」ということになりました。(ついて来てくれた妻には本当に感謝です。)

僕は、今までの人生をとことん振り返りました

なんでうまくいかないんだろう?

なんでいつもあと一歩って感じのところでふりだしに引き戻されちゃうんだろう?

なにがいけないんだ?どこのボタンをかけちがえているんだ?

色々考えた結果・・・一つの結論に辿り着きました。

“人生の結果”というものは、自分が選んだ選択肢の「情熱の量」に比例している

惰性で選べば、それに見合った結果だし、覚悟してやれば、集中してその結果を出すことができる。

嫌なことを無理やり頑張っていても、嫌なりに頑張った結果しか出ない

しんどいことに耐えて必死で頑張っていたとしても、その法則は変わらない

物事の結果は、自分の深層心理で選んだ通りになる。

好きなことに熱中して打ち込んでいる時は、面白いくらいに結果が伸びていく、ただ楽しくて情熱を燃やしているだけなのに

ふーむ・・・・・じゃあ僕は、何がしたいんだろう・・・

・・・

・・・

その時ふと、うつ病の時も、心を解いてくれたスケボーと、旅の途中で出会ったサーフィンの記憶が鮮明に浮かび上がって来ました。」

「あ、そうか!」

サーフィンや!!

じっくり振り返っていろんな思い出に目を凝らしてみると、それまでも僕の中にあった

サーフィン最高!サーフィンすると何よりまして自由になれる!

その感覚と感情が、はっきりと心に浮かび上がって来ました。

その時、僕の歴史の点と点が、ハッキリと線になり、つながったんです。

そうか!やっぱりその時に一番やりたいと思うことをやったらええんや!!

過去はしょせん過去!”今という瞬間の情熱”には叶わへんのや!これは絶対間違いない!

今まで何をやっても、はっきりとしなかった感情が、過去をすべて振り返り清算することで初めて現れてきました。

この感情、真実を手に入れられたということは、

遠回りに見えたけど、今までやってきたことは間違っていなかった。よし!

と思えて、僕はサーフィンができる環境に身を移すことを決めました。

その結果僕は、宮崎に移住してきたんですね。

宮崎は日本でも有数のサーフィンのメッカで、一年中質の良い波がある最高の土地です。

他にも千葉の外房あたりが全国的に有名ですが、波のアベレージを考えると宮崎が一番だと思います。

中途半端に近場に移住するのではなく、今まで溜まっていたエネルギーを全て爆発させるつもりでNO.1の場所へおもむく!

“移住”と一口に言っても、引っ越し代や家具家電の購入費など、お金のこともありますし準備することはいろいろありました。

宮崎のどの土地がいいのか?

賃貸相場はどのくらいか?

物価はどうなのか?

仕事はあるのか?

「いきなり開業するようなスキルも資金もないから、最初は勤め人からだな」とか

何度も宮崎に足を運び、入念に計画を練って来ました。

でも結局最後は「いっせーのーせっ!!」って感じで、覚悟と勢いがあるかどうかだけでしたね。

宮崎は子育て環境もバッチリだし、最高の環境です。

移住の際に思い残しやわだかまりがあるのは良くないと思ったので、サーフィンのメジャーなメディアや大会が集まる千葉の方にも、職探しや家探しに足を運んでみました。

でもやっぱり宮崎やな!」と確信できたので、思い残しなく、完全に納得して移住先を選択できました。

今でもこの選択は正しかったと自信を持って言えます。

今までの人生で学んできたことを総収するに、僕にはもうこの道しかないです。

もしこの道が違うのなら、僕には人生の謎は解けないでしょう。

それくらい、解像度を上げて人生に向き合うことができているということですね。

今、そしてこれから

宮崎に来てから、造園屋の仕事についてみたのですが、合わなくてすぐにやめてしまいました。

そして、2018年の春頃から、今いるIT企業に勤めているのですが、同じ頃に、東北から宮崎に移住して来たWebマーケティングの師匠に出会いました。(2020年8月に退職して、完全独立しました!)

そのあたりの記事

宮崎へ移住して半年が経ちました!環境は予想通り最高!

2018年5月7日

そこから、サイトアフィリエイトのテクニックや、Webマーケティングのテクニックを教わり、スキルを培って来ました。

おかげさまで、このブログでも収益が出はじめています。

2018年の夏頃には、宮崎の日向市で開催されている起業家塾に参加したのですが、そこでも素晴らしい繋がりができて、地方創生事業の最前線に関わらせてもらえるようになりました!

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2019年9月3日

小さく始めたばかりですが、自分のビジネスを大きくして完全に独立することを目指して

日々、やるべきことをコツコツやっています。

もちろん海にも入れてます。

今年はNSA(日本サーフィン連盟)検定の4級取得が目標です。

追記:目標だったサーフィン検定4級取得しました!

NSAサーフィン検定4級に合格しました!その難易度をレポート!

2019年8月10日

宮崎での仲間も増えてきて、仕事も充実して来て、とても楽しい毎日を送らせていただいてます。

最近は、宮崎で繋がった起業家のコミュニティで、事業計画を考える勉強会を行なったり、スタートアップ支援施設の会員になったりして、活動範囲を広げています。

令和元年には、∞CREATEという屋号で事業主登録も行いました!

移住アンバサダー事業者としても認定してもらうことができて、ますます宮崎のために貢献していきたいと思っている所です。

宮崎市の移住アンバサダー事業者に認定されました!

2019年8月27日

本当に何もないところから、勇気と覚悟だけで飛び込んだ世界が、とても住みやすく開けて来ています。

このブログを読んでいるあなたに、少しの勇気をおすそ分けできたらいいなーと思っています。

移住してから、子供達も妻も笑顔が増えて以前に増してとても幸せそうです。

僕の座右の銘は「今を精一杯幸せに楽しんで生きること!

振り返ってみると「ミュージシャンとして成功してやる!」という思いだけでシャカリキになっていた頃は、自分の気持ち良さを考えるばかりで

「どうすればお客さんは気持ちよくなってくれるだろう?楽しんでくれるだろう?」

ということを、とことん考えられてなかったように思います。

それが、これまでボクが大きく成功できなかった理由の一つだなと思いました。

今は、そう言った経験も踏まえつつ、自分のWEB制作のスキルや戦略ノウハウを掛け合わせて、「自立して経済活動を行いたい!」という起業家さんや事業の拡大を考える経営者さんのサポートに力を注いでいます。

自己紹介はひとまずこの辺で終わります。

長くなりましたが、もしここまであなたが読んでくれたなら、僕はめちゃめちゃ嬉しいです。

よかったら感想とか、コメントとか、メッセージとかいつでも気軽に送ってください。

人生という旅は最高です。

みんなで人生を謳歌していきましょう!!

これからもなにとぞよろしくお願いいたします。

追記:2019年9月にはサーフィンの世界大会を観戦できて、憧れのトップサーファーたちと交流し、そのサーフィンを目の前で見ることができました!(思いは叶う!)

【宮崎】サーフィン世界大会「ワールドサーフィンゲームス」初日の模様!

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2 件のコメント

  • 今日はお世話になりました^^

    「宮崎来られる前は、何されていたんですか?」に、短時間で答えられる密度じゃなかったですね!笑

    宮崎に誘われてきて、家族やこども、みんなの人生を愛おしく大切に想う気持ち、一緒です♬
    これからも、お互い宮崎で楽しく暮らしましょう♪
    よろしくお願いいたします。

    • コメントありがとうございます!
      こちらこそお世話になりました。

      ありがとうございます!
      良い暮らし、良い社会を作っていくためにボクにお手伝いできることがあればと思っていますので、ぜひまたご相談ください。
      宮崎盛り上げていきましょう。

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    ABOUTこの記事をかいた人

    ∞CREATE代表/「"アソビゴコロ×マジメ"でビジネスを楽しく。」 /宮崎に移住したパパサーファー/ブログ3年目/Webプロデューサー/マーケター/セールスライター/起業家コミュ"リアライズ"主催/ミッションは地方の起業家を稼がせる事!/好きな食べ物は炭火焼とビールです。お仕事依頼はバナーをクリック